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共同親権の歴史

共同親権の概念は、歴史的に大きな変遷を経てきました。19世紀から20世紀にかけて、親権制度は時代の変化とともに進化し、特に日本では劇的な変化を遂げてきました。もともと、日本の親権制度は主に父親の権利を重視する形で発展してきました。この背景には、伝統的な家父長制度があり、家庭の主権は父親にあるとされていました。

しかし、20世紀に入ると、女性の社会進出や男女平等の理念が広がり、母親の権利や子どもの福祉が重要視されるようになりました。これにより、親権制度も徐々に変化し始めました。特に1970年代以降、離婚率の上昇や家庭の多様化に伴い、親権に関する考え方も変わってきました。両親が協力して子どもを育てることの重要性が認識されるようになり、共同親権の概念が次第に受け入れられるようになりました。

親権の歴史

奈良時代

牧英正・藤原明久編の『日本法制史』(1993年)によれば、まず、奈良時代の大宝令、養老令の中に親族や相続についての規定が設けられている。それによれば、「父母(祖父母を含む)は子に対し広大な親権を有し、子孫は逆に殆ど無条件に近い服従義務を負った。親権の核は子に対して命令しうる教令権で、闘訟律では子孫が父母等の教令に違反して、父母等の告言があれば徒二年が科されるとするのに対し、父母等が教令に違反する子孫を懲戒のため殴打して殺害した場合でも徒一年半に留まり、単に殴打または殴傷した場合、若しくは懲戒行為の結果誤って殺害しても罪責は追及されなかった。」(牧・藤原編, 1993:70)

鎌倉・室町時代

の鎌倉・室町時代にも、先の父母等の有する教令権は存続し、教令に違反する子に対する制裁としては、義絶(親の意にそわない子との間の親子関係を断絶して追放する行為で、不孝、勘当ともいう)と悔返(いったん行った所領の譲与処分を取り消す)があった。

江戸時代

江戸時代には、「武士と庶民とではその家族関係や親族関係のあり方に大きな相違が生じてきた。」(牧・藤原編, 1993:209)

「幕藩権力は、庶民の親族関係については地域の慣行にまかせており(中略)武士の親族関係については、この時代全期にわたってかなり政治的な規制を加えている。」(牧・藤原編, 1993:211)「武士の家ではかなり強力な家長権が認められるのに対し、庶民ではやや弱く、隠居した親にも若干の権力が留保されている場合があった。

「親権は父が行使し、父なきときは母が行使した。子を監禁したり、子に非分あるとき懲戒が行きすぎて殺してしまった場合も無罪とされた。不行跡の子を勘当して親子関係を断つこともできた。子は親を訴えることが許されず、ただ、親が公儀にかかわる犯罪を犯したときだけはこれを受理した。」(牧・藤原編, 1993:219)

19世紀初頭

日本の親権制度は家父長制度に基づき、主に父親の権利が重視されていた。

1890年

ギュスターヴ・ボアソナードはフランスの法学者。パリ郊外ヴァンセンヌ生まれ、パリ大学卒。明治6(1873)年政府の招きで来日し、明法寮等でフランス法学を講義した。

 

また、治罪法(刑事訴訟法典)・旧刑法を起草し、拷問の廃止に尽力した。同12(1879)年には民法草案の起草を開始し、10年余りの作業を経て完成した。

 

ボアソナードが起草したのは財産法部分のみであるが、日本人委員の起草した家族法部分にも影響を与えた。この草案は同23(1890)年に公布。

〔明治民法〕

882条1項

親権を行う父または母は、必要なる範囲内において、みずからその子を懲戒し、または裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。

 

882条2項

子を懲戒場に入れる期間は、6か月以下の範囲内において、裁判所が定める。ただし、この期間は父または母の請求により、いつにてもこれを短縮することができる。

1892年5月

(1892年〈明治25年〉5月)のなかで、「民法ハ父権ヲ名ケテ親権ト謂フ、蓋シ民法起草者ノ意ハ父ニシテ死亡シタルトキハ母ニ於テ此権利ヲ行フコトアルベキヲ以テ父権ト称セズ親権ト謂フベキモノトセルコトナラン。然レドモ家制ヲ重ンズルノ習俗ニ於テハ父権ノ外母権ナルモノヲ認メ之ヲ総称シテ親権と称スルガ如キハ其当ヲ得タルモノニアラズ。或ハ父死亡シ母之ヲ行フコトアルベシト雖モ母ノ行フ所ノモノハ母権ニアラズシテ父権ナリ、即チ母ハ父ニ代ハリテ父権ヲ行フモノニ外ナラズ」(星野, 1969:175)と論じている。

この論争の当時は、大日本帝国憲法を中心に天皇制国家の基本原理が定まり、かつ日本資本主義の矛盾が顕在化しつつあるという状況にあり、延期派にとって有利であった。この論争に決着がついたのは1892年の第三回帝国議会においてである。旧民法の施行延期の法律案が圧倒的多数をもって支持され、廃案が決定したのである。(中川(淳), 2000:1012、牧・藤原編, 1993:351-353)

1898年

旧民法の廃棄が決定した後、政府は、梅謙次郎、穂積陳重、富井政章の3人を起草委員とする法典委員会を設置し、1896年に財産編(第1編から第3編)、1898年に親族編、相続編(第4編、第5編)が公布され、同年7月に全編が同時に施行された。これが、明治民法である。

1919年

第1次世界大戦後の1919年(大正8年)、家族道徳の重要性を強調し、家の制度の美風を破る弊害を是正しようとする保守派の影響を受けた政府は、臨時法制審議会を設置した。そして、1925年、親族編改正要綱が決議された。(中川(淳), 2000:14)

1947年

日本国憲法の施行により、男女平等の理念が法的に認められ、母親の権利も次第に重要視されるようになる。

1948年

現行民法が施行され、家制度が廃止される。親権は父母の共同親権とされるが、離婚後は単独親権が主流となる。「家」制度の廃止、男女平等、妻の行為能力や相続権の肯定、均分遺産相続制度へ。

1954年

1954年(昭和29年)に、政府から民法の再検討をするように諮問を受けた法制審議会は、民法部会を作って、これに審議をゆだねた。民法部会は二つの小委員会を設け、親族法と相続法に関しては身分法小委員会によって検討がなされることになった。

1964年

日本では、1964年に審判で初めて面会交流が認められた。以来、長く「面接交渉」と呼ばれていたが、親子間で「面接」や「交渉」と呼ぶのも不自然であり、しだいに面会交流と呼ばれるようになった。

1966年

1966年(昭和41年)に妻を親権者として離婚する場合が過半数を占めて逆転している。

1962年~1972年

三淵嘉子が東京家庭裁判所で判事を務め、共同親権の重要性を訴える

1970年代

女性の社会進出が進み、離婚率が上昇。親権に関する議論が活発化する。

1970年代以降

厚生労働省の『人口動態統計』によると、日本における離婚件数は、1970年代以降10万件を超えてから、年々増加しった。

1989年

児童の権利に関する条約(以下、子どもの権利条約)が年に国連で採択された。

1994年

日本が国連の子どもの権利条約を批准。子どもの権利と福祉が国際的基準で保護されるようになる。

1996年

法制審議会が「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申。これにより、婚姻適齢の男女平等化、選択的夫婦別氏の導入、5年以上の婚姻の本旨に反する別居を裁判離婚の原因とする、婚外子の相続分差別の撤廃などが提案される。

2003年

2003年から開催されている私的な研究会「民法改正委員会家族法作業部会」の報告のなかで、水野紀子は、親権法改正の基本指針の1つとして、離婚後の両親の共同親権の原則化を提案している。しかし、この提案には、日本の離婚する夫婦の現状を前提とすると、離婚後の共同親権は機能するのかとの意見も出されている。(水野, 2006:160-163)

2005年

公明党の浜四津敏子副代表が、第162回国会参議院法務委員会で共同親権について質疑を行い、法改正の必要性を訴える。

2011年

調停や審判の進め方のルールを定めた法律、「家事事件手続法」ができる。

 

民法766条1項に「面会及びその他の交流」という文言が加えられる。

監護に関して定める場合には、「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」(民法766条1項)との文言を加えた。

 

「子の利益」は、この条約の言う「児童の最善の利益」に該当する。

 

従来あった親権を喪失させる手続き(民法834条)に加えて、より使いやすい親権停止制度(民法834条の2)を新設した。 上限で2年間まで親権を停止することができ、停止期間が満了すれば、親権をおこなうことができる。そして、停止期間中でも、児童相談所などが改善をうながし、援助し、改善がみられたら、親権停止を取り消して親子関係の修復をめざすことができる。

2012年

離婚届に、養育費と面会交流の取り決めの有無についてチェック欄をもうけた。

2016年

成年に達しない子の身上の世話及び教育並びに財産の管理のために、その父母に認められる義務及び権利の総称」(傍線筆者原、以下同)。日本家族〈社会と法〉学会のシンポジウムで、家族法改正研究会が報告した定義である。

全市区町村で、養育費と面会交流についてのパンフレットと合意書のひながたを、離婚届と同時に交付している(内閣府第四回子どもの貧困対策会議の「すべての子どもの安心と希望の実現プロジェクト」2015年)。

2019年

弁護士による養育費相談(無料)をすべての都道府県、政令指定都市、中核市(112か所)で実施するとした(前掲のプロジェクト)。

2020年

法務省の「家族法研究会」が共同親権導入の是非を検討する報告書案を発表。しかし、結論は「現行制度の見直しの当否について一定の方向性を示すことは困難」とするものであった。

2024年

民法が改正され、共同親権が正式に導入される。両親が共同で子どもの重要な意思決定を行うことが法的に認められる。

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